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趣谈・新词新语丨“白发三千丈”是夸大其词吗?

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    2021-12-14 21:12
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    [LV.4]偶尔看看III

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    发表于 2020-10-27 19:25:45 | 显示全部楼层 |阅读模式
    白髪三千丈」――言うまでもなく、李白の五言絶句『秋浦歌』の中の一句である。とりわけ日本人になじみ深いこの詩の冒頭の一句が「白髪三千丈」で、いつしか、この言葉は「大げさ」を意味するものとして独り歩きするようになった。
    大师都晓得,“鹤发三千丈”出自李白的五言绝句《秋浦歌》。这首诗对于日本人来说也耳熟能详,其开首的“鹤发三千丈”更是不知从何时起,由于夸张的表达而在日本变得分外着名。
    「白髪三千丈」という表現を根拠に「中国人の言うことは大げさである」と短絡的な見方をする日本人もいまだに多いようである。そうした誤解を解くために、もう一度、この詩(抜粋)を鑑賞してみよう。
    似乎仍有很多日本人由于“鹤发三千丈”这一句诗就果断地以为“中国人措辞喜好夸大其词”。为领会开这一误解,请再一路读一读这首诗(摘录)吧。
    鹤发三千丈
    白髪三千丈
    缘愁似个长
    愁に縁って箇の似く長し
    不知明镜里
    知らず明鏡の裏
    何处得秋霜
    何れの処にか秋霜を得たる
    「白髪三千丈」は李白が遠く故郷を離れて、安徽省池州の秋浦に仮住まいしていたときに、老いた自分を嘆いて歌ったものだ。口語訳にしてみた。
    “鹤发三千丈”是李白阔别故乡,暂居于安徽省池州的秋浦时,叹息自己老去所作的诗。我试着将它译成了口语。
    私の髪は愁いのために三千丈にも伸びてしまった。澄んだ鏡に見える我が頭髪に、いったい、どこから秋の霜が降りたのであろう。
    我的头发是由于忧愁才长到三千丈这么长。从明镜中看到自己的头发,是何处的秋霜落在了上面?
    さて、問題の「白髪三千丈」だが、一丈が約3㍍だから、三千丈は実に9000㍍にもなり、確かに大げさと言えばとてつもなく大げさではある。
    我们会商的“鹤发三千丈”,一丈约即是3米,那三千丈就是9000米,要说夸大的话,简直是夸大到古怪。
    しかし、これは詩を読めば分かるようにあくまで文学的な誇張なのであり、この場合の「三千丈」は「孔門门生三千」「食客三千」「宮女三千」などの言い方があるように、数目の多いことを表す慣用句であるにすぎない。
    可是,读过这首诗就应当大白,这里只不外是文学中夸张的修辞手法,这里的“三千丈”和“孔门门生三千”“食客三千”“宫女三千”一样,是一种用于暗示数目之多的习惯性表达。
    というと、「いくら誇張にしてもほどがある」という声が聞こえてきそうだが、この三千丈は物理的な誇張だけを表しているのではない。
    这样一说,能够有人会辩驳“再怎样夸张也要有个度吧”,不外,这里的三千丈不但仅暗示物理层面的夸张。
    承句に書かれた「愁に縁って箇の似く長し」を見ていただきたい。この「長」は白髪の長さだけを意味するのではなく、愁いもまた長し、という意味が含まれている。いつの間にか長く長く伸びてしまった白髪は、李白本人の説明もできぬほど深い深い愁いの象徴でもあるのだ。むしろ、「白髪三千丈」には、李白の実感がありのまま込められているといってもいい。
    请留意承句“缘愁似个长”。这里的“长”指的可不但仅是鹤发的长度,还有“忧愁之长”的寄义。不知不觉间变得越来越长的头发,意味着李白本人也说不清道不明的深深的愁闷。可以说,“鹤发三千丈”承载着李白心里实在的感受。
    この一言で中国人が大げさと言うのなら、「汗が滝のように流れる」「目を皿のようにする」などの比喩を使う日本人だって同じことだ。汗がどんなに流れても、「滝」ほどにはならないだろう。ちなみに中国では前者を「汗流浹背」(びっしょりと汗をかく)と言い、後者のようなケースでは「眼睛瞪得像牛眼大」(カッと見開いた目は牛のようだ)と言う。皿に比べたら、牛の目玉など知れたものである。確かに、中国語の表現には、例えば、すごい意気込みを「気呑山河」(山河をのみ込むほどの意気込ぉ、色とりどりを「万紫千紅」と言うようにオーバーなものが往々にしてあるが、これは一種の伝統で、文学の影響から来ているのかもしれない。
    若只因这一句话就说中国人喜好夸大其词,那末利用“汗流如瀑”“眼睛瞪得像盘子(一样圆)”这类比方的日本人不也是一样吗。汗流得再多,也不会酿成瀑布。顺便一提,在中国,前者对应的表达是“汗流浃背”,后者对应的则是“眼睛瞪得像牛眼大”。和盘子相比,牛的眼睛真不算夸张。简直,中文中经常喜好用夸张的表达,例如气势高昂称作“气势磅礡”,将色彩缤纷称作“万紫千红”,但这是一种传统,也许是遭到了文学的影响。
    走在飞舞的柳絮当中的北京市民(图片由刘德俞供)
    さて、文学的な表現、誇張、比喩の話が出たついでに、ある中国の故事を思い出した。
    讲到文学上夸张、比方等修辞手法,我想起了一其中国的故事。
    日本でもおなじみの『三国志』で知られる魏の国に代わって打ち立てられた晋の国に、謝安という宰相がいた。ある日、にわかに雪が降ってきたので、家のものを集めて、「さあ、この雪は何に例えたらよいか? みんなで言ってご覧」と問うたところ、おいの謝朗は「『塩を空中に撒くにやや擬すべし』とでも表現したら……」と答えたが、めいの謝道韞は、「それより、『柳絮の風に因りて起こる』と言った方がよっぽどいいわ」と言ったので、伯父の謝安は大いに感心し、喜んだ。それ以来、謝道韞は才女の誉れをほしいままにし、世間では女性の文才を褒めて「柳絮の才」というようになった。
    由于在日本也家喻户晓的《三国演义》,魏国变得广为人知。取代魏国的是晋国。在晋国,有一位叫谢安的宰相。一日,突降大雪,他将家人聚到一路,问道:“这纷纷扬扬的白雪像什么呢?大师都说说看。”他的侄子谢朗答道:“可以说是‘撒盐空中差可拟’……”侄女谢道韫则说:“不如说‘未若柳絮因风起’更好。”伯父谢安听了大喜,连连称赞。自此以后,谢道韫便因才女的美誉而名声鹊起,“柳絮之才”一词被用于夸奖有文彩的女性。
    1996年4月、青森県八戸にある俳句の団体『たかんな』が企画した日中漢俳交换の旅に、岡山県身世の俳人・難波政子氏が加入され、初めて訪れた北京で、空港や故宮の空に舞う柳絮の美しさに目を奪われ、それ以来、この景に接することを楽しみに何度か春の北京に足を運ばれた。その思いを託する気持ちで句集を出书されるときタイトルを『柳絮』とされた。そのときの句作に、「前門の空より柳絮湧くごとし」がある。句集に収録された300首の俳句のうち、中国の旅吟が36首、なんと全部の10分の1強を占めていることから、難波さんの中国への思い入れがひしひしと伝わってくる。句集『柳絮』を拝見しての感触だが、難波さんは感受性が強く、表現力が豊かであり、女流俳人として優れた文才の持ち主のお一人であるとお見受けした。
    1996年4月,青森县八户的一个俳句爱好者构造TAKANNA策划了一越日中汉徘交换之旅。冈山县身世的俳人难波政子加入了此次活动,人生中第一次来到北京,被机场和故宫上空飞舞的柳絮之美深深吸引。尔后,为了观赏这一美景,她曾屡次在春季到访北京。为了抒发这类感慨,她还将自己出书的俳句集命名为《柳絮》。其中有一首是“前門の空より柳絮湧くごとし(前门碧空中 柳絮翩翩随风涌 春意暖融融)”。这本俳句集合收录了300首俳句,其中,吟诵中国之旅的有36首,占了非常之一还多,从这傍边,也能感遭到难波密斯对中国深深的豪情。我曾拜读过《柳絮》,我以为,难波密斯很是灵敏,富于表示力,是一位很有文彩的女性俳人。
    タイトルの「柳絮」を目にしたとき、中国をこよなく愛する難波さんのお顔を思い浮かべると同時に、句集の出书に先駆けて「何か一筆」と依頼されたとき、前述の「柳絮の才」という中国の故事を思い出し、一文を草した思い出がある。
    看到题目《柳絮》,我眼前立即就显现出了深爱着中国的难波密斯的脸。我还想起,俳句集出书前我曾受邀“简单写几句”时,因想到了上面讲的“柳絮之才”的中国故事,便写下了一篇小文。
    曾被无数诗歌赞美的富士山美景(图片由刘德俞供)
    日本人の書かれた漢詩にも奇抜な比喩のあることを発見した。まず詩をご覧いただきたい。
    我在日本人所作的汉诗中看到了非常新奇的比方。请先一路读一下这首诗。
    富士山
    仙客来游云外巅
    仙客 来たり遊ぶ雲外の巓
    神龙棲老洞中渊
    神龍 棲み老ゆ洞中の淵
    雪如纨素烟如柄
    雪は紈素の如く煙は柄の如し
    白扇倒悬东海天
    白扇倒に懸る東海の天
    おおよその意味は、富士山を仰ぎ見れば、かつて仙人が来て遊んだことのあるあの山頂に、降り積もる雪は真っ白。大昔、神龍の棲家と言われた噴火口から立ち上る絹のように白い煙は、扇の柄のように見える。富士は、さながら東海の空高く白扇をさかしまに懸けたかのようだ。なんと美しいことか。
    大要的意义是,瞻仰富士山,曾有仙人来游的那座山顶上,因积雪而白茫茫一片。很久之前,富士山的喷火口曾被人们以为是神龙栖息之处,绸缎一般的白烟从那边袅袅升起,看起来就像是扇柄。富士山好像东海上空倒悬的折扇。真是美极了。
    この詩の作者は、石川丈山(1583~1672年)。三河国(静岡県)の人。徳川早期の军人身世の文人で、詩に長じていた。広島の浅野侯に仕えたこともあるが、のち洛北に詩仙堂を築いて住み、詩文を楽しんで晩年を送ったという。主な著作に、『詩仙堂志』『丈山壁書』などがある。
    这首诗的作者是石川丈山(1583~1672年),山河国(静冈县)人。他是德川早期军人身世的文人,很是长于作诗。他曾在广岛寄食于浅野侯门下,后又在洛北修建诗仙堂并隐居于此,以诗文自娱,度过晚年。代表著作有《诗仙堂志》《丈山壁书》等。
    日本では、富士山について詠じた詩歌は昔からすこぶる多いが、この詩は代表作の一つに数えられている。この詩は、上智大学教授の山田勝美博士の評価によれば、個々の表現に難点もあるが、全部として、秀麗な富士の山容が見事に歌い上げられており、特に結句の「白扇倒懸東海天」は、後世の跟随を許さない名句であると称賛されている。中国の着名作家・劉白羽氏も、「倒にかかる白扇」の比喩を惜しみなく絶賛していた。
    在日本,自古以来歌颂富士山的诗歌不可胜数,但这首可谓是代表作品之一。上智大学的山田胜美教授曾对此诗高度评价,称这首诗虽然在个体表达上存在弱点,但从整体来看,将富士山的秀丽刻画得淋漓尽致,出格是结尾的“白扇倒悬东海天”,成为先人没法效仿的名句。中国的著名作家刘白羽也曾对“倒悬白扇”这一比方赞不停口。

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